case.1

ここはどこだっけ。

目が覚め、最初に視覚的に感じた印象はそうであった。
四方は全て黒く塗り潰されている。

ここはどこだっけ。

再度、疑問を投げかける。
今度は口に出して。
だが、全てが闇に閉ざされたこの閉鎖空間ではそんな小さな疑問は飲み込まれていく。

『彼』はその中心にいた。

ふと、どこからか声が聞こえた。
『君は、僕だ』
…誰だ?
『僕は、君だ』

………君は、

俺は、

誰なんだ?



その時、ふっと周囲が変わる。目の前には炎に包まれ、崩れ落ちる大きな屋敷。

『…ここは…』
『彼』は周囲を見渡す。
見覚えがある。

また、周囲の光景が変わる。先ほどまで見ていた屋敷の中であろう場所にいた。

今いる場所は入り口を入ったあたりだと考えられる。
いつの間にか移動していたことにはさほど驚くようなことは『彼』にはなかった。
が、目の前、ロビーとでも言えばいいのだろうか、その中心。
『…あ』


何人もの死体を積み重ねた山の上に、
一人の少年がいた。

『……あ、ああぁ!?』
その少年を見た瞬間、『彼』は思い出した。

少年は死体の山の上から、『彼』をただじっと見つめていた。

『彼』は理解した。
理解してしまった。
これは自分の過去。

つまり、

その死体の中心にいる少年は、自分自身だと。

『思い出した?』
ふと、少年が口を開く。

『…あぁ』

『これは君の過去だ。そう、君自身のね』

少年の姿が形を変えていく。

溶けるように。

『一つだけ言っておくけど、今回は違う。』

少年の姿はついに人の形を為さなくなったが、すぐに人の形を取りもどす。

『僕がいるからね』

『少年だったもの』は『青年』となった。

『青年』の肌は褐色であった。何処と無く誰かに似ている印象を受けるその風貌は、髪が白く整った顔立ちをしてはいるが少し幼い印象があった。

衣服は全て黒系統で統一されている。

神父が着るような衣服に、スーツなどを合わせたような見たことのない服装でその青年は『彼』の目の前へ死体の山を降りていく。

時折肉が潰れるような音が生々しさをより一層際立たせる。

『……っ』

『彼』は動かなかった。

いや、正確には『動けなかった』。

既に目前まで迫る青年に、底知れぬ不安と恐怖を感じ取っていたからだ。

青年は『彼』の目の前で止まり、

口角を上げニコリと笑う。

不気味な笑顔だった。

一見無邪気に見えるその表情には、心の底まで見透かされ弄ばれているような、全てを嘲笑しているかのように感じられた。

『今回君に接触したのはね、君に頼みたいことがあるんだ…あ、ちなみに拒否権はないよ。』

青年は表情を変えず続ける。

『彼』はただじっと話を聞くことしかできなかった。

『別にとって食おうってわけじゃないのに…そこまで怖がられるとちょっと傷つくなぁ…まぁ君がそうしたいならいいけど』

青年はこう切り出す。

『単刀直入に言うけど、君の世界、このままだと消えるよ。君にはそれを阻止してもらいたい。』

青年は少しドヤ顔をしながら『彼』に向かい人差し指を向けた。さりげなくポーズまでも決めている。

『……行っている意味がわからない』

『彼』は疑問を投げかける。

『君、僕がこんなにわかりやすくズバッと言ってあげてるのに…馬鹿なの?死ぬの?』

青年は少し呆れたようにそう言う。

『……突然すぎて頭が追いつかない。それに、ここは夢の中なら…起きたら忘れるかもしれない』

『彼』は自分の言葉を一つ一つ、選ぶように声に出した。

『大丈夫さ、だってこの夢は絶対に覚えてることになるから』

青年はまた笑みを浮かべる。不気味だ。

『最近、君は悪夢を見るはずだ。あ、最近…というのは表現が違うね。昔からだ。この夢は。』

青年はわざとらしく、『今思い出した』かのごとく呟く。

『まぁそんなことはいいさ、今関係ないしね。僕はね、君にこの世界の崩壊を止めて欲しいんだよ。そうじゃなきゃ僕の玩具…じゃなかった、君たちの大切な人たちがたくさん死ぬことになる』

青年は真顔でそう『彼』へ言い放つ。

先ほどとは一変真面目な印象だが、不気味さは消えない。

わざとやっているのだ、と『彼』は確信した。

『まぁいいか、伝えること伝えたしー。細かい事まで教えても面白くないし』

青年は彼を突然突き飛ばす。

『…っ!?』

『彼』はとっさに受身を取ろうとしたが、そこに床はなかった。

崖だったのだ。深く深く、どこまでも続く闇だ。

『君はそろそろ目覚めるべきだ…現実ではそろそろ朝だしね』

青年は落下する『彼』をじっと見下ろし、笑っていた。


『おっと、そういえば自己紹介をしていなかったね。』

『僕はナイア。クロノキ・ナイアだ。』


真っ黒な闇の底へと落ちているはずの『彼』に向かい、青年は名乗った。青年の声はあるはずのない壁に反響し、まるで青年が耳元でしゃべっているかのように『彼』には聞こえた。

不思議だ。

落ちているはずなのに彼との距離は何故か一定なのだ。

明らかにおかしい…

『それじゃ、僕は君の夢からはお暇することにしよう…』

青年がそう言うと同時に、『彼』は瞬きをした。その一瞬の間の後、『彼』が最後に見た青年は…



顔がなかった。

まるで、ぽっかりと穴が空いたように。

だが、その穴からはしっかりとこちらを見ている、ということがわかった。


『頑張ってね。アデル・デュランダル。』


『アデル』と呼ばれた『俺』は、


そのまま深い闇の底へと落ちていった。

最後には、フルートのような音色と狂ったような笑い声だけが響いていた。


『また会おう…アデル………はははっ、あはははははははははははははははははははは!!!』